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第10章 ミニ日経

ミニサイズの背景

従来は先物取引というものは、金融機関や事業法人など、市場のプロが扱うものだと考えられていた。しかしここ10年間での急速なIT技術の進歩のおかげで、個人のPCベースでも十分にマーケットのスピードに対応できる環境が整ってきた。そのため、取引所における電子ブローキング化がいち早く進むこととなり、機械が取引同士をマッチングさせる以上、量の大小は関係がなくなってきて、いかに正確に、タイムリーに注文をこなせるかが問題となってきている。

電話で取り次ぐ方式で取引を強いられた時代は、手間ヒマは同じなので、1枚や2枚だけをさばくのは嫌がられたものだが、今にいたっては1枚の注文も100枚の注文も機械は文句を言わずにさばいてくれるようになったのである。

そうなると今まで眠っていた潜在投資家が目を覚ますことになる。いち早くIT化の洗礼を受けたのはアメリカである。史上最大の規模を誇ったCMEで扱っているS&P500先物。これが、人間が仲介して裁くピット取引のなかでは取引高、取組高はともに世界一であったし、1995年から始まった米国株式市場の急上昇にも支えられて、大活況を呈していた。

あまりにも激しく株価が動くので、市場がクローズした後の取引も行ないたいという要望が強く、その結果として生まれたのが電子ブローキングをメインとするグローベックスと名付けられた取引システムであった。グローベックスのS&P先物は、通常のピットの先物の5分の1のサイズで設定され、ミニS&Pと呼ばれた。また同時にミニ・ナスダックというものも上場された。

ミニサイズで上場したのは、無論、多くの投資家に参加しやすいように図ってのことだが、出発した当初は先行きが懸念され、継続も危ぶまれていたのである。まず、ミニS&PとレギュラーS&Pとでは物が違う。ミニS&P5枚でレギュラーS&Pの1枚と相殺されないのだ。しょせん、グローベックスは夜間取引であり、本番のコアの米国時間の補助的役割しか期待されていないのだから、発足当初はミニS&Pの取引高も薄く、グローベックスでポジションを張って勝負しようというプレーヤーは皆無であったといってもよい。

しかし2000年を越したあたりから、事情は異なってくる。インターネットの高速通信が普及し、一般の個人もPC上でリアルタイムに相場の流れがキャッチできるようになる。その結果、それまで主流であったピットトレードが内包する矛盾点が一気に噴出した。とくに悪評を買ったのは「ファースト・マーケット」というものである。ピットで多くのブローカーが互いの値段を出し合って値付けしていく方式をオープン・アウト・クライというが、これで取引をおこなっている限り、公表された安値より高い買い注文を出していても買えないことが多い。安値が1000と公表されているときでも、自分が朝から出している買い注文の1050が買えていないことが多いことが露骨に判明するようになった。えてしてそのような時は相場が1200くらいに戻っていたりする。これをファーストマーケットといって彼らシカゴのピットトレーダーらは免責されているが、不透明感はぬぐえない。これが人間不要論の始まりであったのかもしれないが、一般投資家の目は急速に電子取引システムのほうに向かうこととなった。

途中、同時多発テロなど不幸な時期もあったが、それを境にして今や完全に機械と人間の立場は入れ替わることになってしまった。マーケットを主導するのはミニS&Pとなり、レギュラーものはその補助手段に過ぎなくなってしまった。そのうえミニサイズである分だけ個人投資家の参加者も多い。

こうしたアメリカの体験に基づいて、電子化とミニサイズ化に積極的に取り組んだのがドイツと韓国である。ドイツはEU統合後の欧州の中心たろうとするためで、韓国は中国の需要に乗っかったアジア戦略のためだった。どちらも株式市場の情報を積極的に外部に公開し、各国の投資家に積極的に参加してもらおうと努力している姿がハッキリとわかる。