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第9章 己を知る

盲信は禁物

相場に入るに当たって、よりどころとなる根拠を何がしらに求めたいのは当然のことである。「昨夜の海外市場はどこも大いに上昇していたので、今日は日経先物をロングで攻めてみよう」とか「テクニカルに重要な抵抗ラインを上に抜けてきたので、怖いけど日経先物を買ってみよう」など。人間だれしも理由付けのないところに行動を起こすというようなことはない。

しかしながらその理由がいかに正当に思えても、また、いくら過去において何度も上手くいったからといって、今回も上手くいくとは限らない。ひとつの手法にこだわったおかげで、かえって大きな損失につながったということもあるのである。また、相場の世界に「絶対」ということはありえない。「絶対にこの株はもっと上がるから」といわれても、その株式が上がるための材料はすべて出尽くしてしまっているかもしれないのである。そんなに上がるというのなら、「ではあなたが多額の借金をして、その株券を買えばいいのは?」と言ってあげたくなるが、えてして自分では買っていないことが多いものである。

過去の手法を使うのはよいが、あくまでも「絶対」はありえない。信じるものは目の前で起こっている事実だけで、すなわち価格そのものであり、相場の値動きだけである。確かに日経平均の値段は、いつかは悪性のインフレなどにともなってバブルの最高値を超えて、5万円になる日が来るかもしれない。しかし数十年先にそれが訪れても、当たったことには変わりないということになってしまうが、そんなものを根拠に日々の値動きを見るわけにはいかない。

値動きが自分の思惑とは反対方向に走りそうになったら、その時点ですでに別のシナリオが動き出しているのだから、問答無用に損切りをして、出直しを図るのである。「相場に意地は禁物」という。自分の解釈や偉い人の助言にこだわりすぎるのは良くない。

テレビに出てくるような肩書きが立派なアナリストや評論家が自信をもって言っていたことでも、次の日になってみれば違うことを言っていたりするものなのである。彼らが「今日の相場はこうだ」と言ってみたところで、はずれても責任を取ってはくれない。過信は禁物である。確かに言えることは、過去の経験則からみれば、この種のコメントで皆が総強気になっている時が、だいたい相場の天井になっている。

チャートにしたって、よくはずれる。テクニカル分析にしたがって、上に抜けたと思って買ってみても、高値つかみになってしまうことも多い。こんなときにロングのままでいようものなら大怪我をしてしまうことだってある。それを回避できるのは、値動きに基づいた損切りだけなのである。目論見と違った動きをしたら、すぐさま逃げるが勝ちである。そこでやられる何ポイントかは、これから儲けようとしている利益に比べれば小銭である。躊躇することはない。「逃げるは脱兎のごとく」という。

そもそもチャートも評論家にも、必ずといってよいほど言い逃れの道が残されている。「市場の外部環境が変わってしまったからだ」とか「お前のチャートの見方が悪いのだ」などと言われてしまえば、どうしようもないのである。参考にするにとどめておいて、盲信することなく、相場の値動きに忠実であろうとする姿勢を貫き通さないといけない。

「もうはまだなり」という相場での格言がある。相場が下がってきた後で、もうそろそろこのへんまでかなと思って買ってみると即死する。相場は自分の都合や勝手な思い込みでは動かないということを深く心に刻んで、下手に値ごろ感を持つことを戒めている。自分に都合の良い情報や、耳障りのいい情報だけをインプットしていないか、常にゼロベースになって客観的に自分自身を振り返ろう。